居田伊佐雄作品特設ページ
居田伊佐雄さんによる上映作品解説
居田伊佐雄作品集1(11作品)
Far from the explosive form of fruit
〈1972 8mm 08分08秒〉
雪解け水のせせらぎが聴こえる野原で陽光を浴びながら、自分が感覚であり音と光景に取り囲まれているのだと、生々しく感じたことがありました。その感じを表現したいと思いました。
右旋回・左旋回・下から上に・変化して行くカットの長さ、こうした要素によって私の周囲に広がっていた空間を形作るような編集をしようと計画しました。
8ミリフィルムをテープで接合して編集するのですが、編集箇所が多かったうえにカットする位置の決定で試行錯誤した結果、接合に使うテープ代がフィルム代と現像料を上回りました。
ASCENSION
〈1972 8mm 03分12秒〉
泡が破裂する瞬間に他の映像を見るとどんな感じがするのだろうか。泡が破裂する直前のコマに他の映像を接合するのと、破裂した直後のコマに他の映像を接合するのとでは、何か決定的な違いがあるのだろうか、ということが気になったので、その瞬間を繰り返し見るために作ってみた作品です。
ひとコマ残すか削るかの違いを実感したいということかも知れません。小さな写真が連なっている8ミリフィルムを手にして、これで何ができるのか自分なりに手探りしていました。
マリリン・マグダリーン
〈1972 8mm 08分59秒〉
時間も場所も違う写真が沢山あり、どの写真にも同一人物が写っている場合、それらの写真をコマ撮りすれば同一人物が動いているアニメーションになる。強引に動かしてしまうのも楽しみだ。さらに写真毎の要素の違いの大きさが何か激しいものを生み出すに違いない。そのような期待を抱かせる一人の人物の沢山の写真があることに気が付いたのが製作の切っ掛けでした。
コマ撮り・再撮影・再撮影の再撮影・薬品による変色とエマルジョンの剥離を行いました。
オランダ人の写真
〈1976 16mm 06分27秒〉
映画は静止した写真の連続ですので、一枚の写真は映画のひとコマです。机とその上に置かれた一枚の写真を想像します。想像する私の脳内を写真に撮ったとすれば、机に置かれた写真を撮った写真が出来上がることでしょう。そのように想像する私の脳内を写真に撮ったとすれば、机に置かれた写真を撮った写真を撮った写真ができあがります。そのように考えて1974年に8ミリフィルムで『オランダ人の写真』を製作したのですが、入れ子構造はいくらでも増やせるので1976年に16ミリフィルムで作り直しました。
気流
〈1975 16mm 13分42秒〉
連続して撮影した映画フィルムはひとコマ毎のアクションカッティングの連続です。コマと次のコマの映像に動きの連続があるからです。一方、ひとコマは一枚の写真ですので、ひとコマずつ映像をトリミングしたり拡大縮小したりすることができます。例えば普通にズームする過程をA→B→C→Dとしたら、ひとコマ毎に拡大縮小することでC→A→D→Bとすることができます。これは映画が写真の連続である以上不自然なことではありません。ひとコマずつ拡大縮小された映像のなかで被写体の動きが連続します。
プレパラート(100フィート版)
〈1977 16mm 02分47秒〉
分度器を使った撮影装置に写真をセットし、角度を変えながら写真を入れ替えて撮影しました。
上方向に圧縮するワイプが繰り返されます。一回ワイプする度に掌の上で回転する写真が映し出されます。ワイプする写真の中では後ろ姿の男が歩いています。男はしゃがみ込み、回転しながら地面を移動してきた写真を掌に乗せます。その写真にカメラが寄っていく過程で二つの回転する写真が同じ写真になります。
カメラが寄っていった方の写真が画面一杯になると、写真の中の後ろ姿の男が歩きはじめるので振り出しに戻ります。
鉱物学者
〈1977 8mm 11分13秒 (6コマ/秒版〉
8ミリ映画は毎秒18コマか24コマで撮影され、同じ速度で映写されます。8ミリ映写機の中にはスローモーション映写ができるものもあります。映写速度を落とせば落とすほど映像が間欠的に映し出され、スライド写真を順繰りに見ている状態が明瞭になってきます。
そこでスローモーション映写で普通の動きに近くなる撮影をしてみることにしました。カメラのレリーズをガシャガシャと指がつるまで押しまくって撮影しました。
写真を次々に見るのが映画の動きという考えですので、撮影速度は指次第、映写速度も大雑把です。
子午線通過
〈1977 16mm 04分58秒〉
横浜の大桟橋で撮影したフィルムをマットに映写して再撮影しました。風景が部分的に見えたり見えなかったりするようにマットを取り替え、その状態がランダムに起こるよう映写機のレンズを覆ったり開いたりしながら撮影しました。
フィルムが終端まで行くと巻き戻し、マットを取り替えて撮影する、という作業を繰り返しました。マット5枚とマスクの6重露光です。
見えたり見えなかったりする不明瞭な画面の中を、遠近感をなぞるように明瞭な形が通過して行くといったイメージを抱いて作りました。
ハンマー
〈1977 16mm 05分05秒〉
スクリーンの内側はフレームによって区切られた虚構の空間であり、スクリーンは虚構の空間の表面です。その表面に虚構の空間の内側から様々なアプローチをしてみたいと考えて製作しました。
表面を横にスライドさせるとか、掴んで内側に取り込むとか、逆に内側のものを表面に一致させるとか。技法としては、紙焼きの連続写真を切り張りして虚構の空間の表面に相当する連続写真を作成し、それらをコマ撮りしました。
北半球
〈1978 8mm 08分25秒〉
天地が逆さまの映画を作ってみたいと思いました。この映像は意味が無いのだ、と主張している映像で映画を構成してみたいと思いました。
人形を使ったカットがありますが、人形は『鉱物学者』の撮影で訪れた河原に漂着していたものです。撮影に使えるかもしれないと思って拾っておきました。このカットについて中村雅信さんが『記念写真』への私からの回答だと思ったらしく、そのように私に問いかけましたが、その意味すら無かったので返答に困りました。
満潮
〈1981 16mm 06分43秒〉
映写機のレンズから光が出てスクリーンに到達し映像が映し出されます。映写機とスクリーンは光の筒で繋がっています。光の筒を白い板で遮るとそこに映像が映し出されますが、それは光の筒の断面です。光の筒は金太郎飴のようなもので、どこで遮っても同じ映像が映し出されます。
光の筒の断面を眺めるような、映写機から射出された映像がスクリーンまで漂っていく様子を眺めるような、そのような映画を作ってみたいと思いました。
居田伊佐雄作品集2(5作品)
エコー
〈1982 16mm 08分20秒〉
映写機とスクリーンの間に指を差し出し、映し出されているものに指の影で触れながら撮影しました。影絵遊びのような撮影です。元々フィルムに写っている影も、映写機の前に差し出した指や手の影も、どちらも撮影された影になるので見分けにくくなります。ですが、なんとなく見分けながら見てしまいます。元々無い影が混じることで、微妙に虚構であることの味付けが加わります。映像である水や蛙の感触、光と影と粒子でできた自然の感触、こういった感触を味わう作品にしたいと思いました。
回路計
〈1983 8mm 15分37秒〉
高感度の8ミリフィルムで撮った映画は粒子が荒く、粒子がもやもやと動く様子をスクリーンの上に見ることができます。油絵には油絵具の感触があり、水彩画には水彩絵具と紙の感触があります。映画にはフィルムの感触があり、フィルムの面積が小さくなるほど相対的に粒子が大きく映し出されるので、フィルムの感触が際立ちます。
フィルムのなかの飛び立った飛行機は、遠ざかるにつれてどんどん小さくなり、粒子よりも小さくなって、粒子でできた青空に埋もれて行くのです。
影踏み
〈1983 16mm 13分31秒〉
小高い山の頂で鳥の囀りを聞き、上空を通過する飛行機の音に空の高さを感じながら、影踏み遊びをするように撮影しました。撮影して編集することを3回に分けて行いました。1回目の編集後の映像から、それに続く映像を発想して2回目の撮影を行い、2回目の編集結果から3回目の映像を発想して撮影しました。
完成させるのに1年かかりましたが、俳句を詠むのに苦労しているような1年間でした。音は現地で生録音した自然音を編集なしで使いましたが、なぜか編集後の映像に計算したように合っていくのが不思議でした。。
地球の石
〈1986 8mm 36分34秒〉
何処かの野原で宇宙人がうろつきながら自然を観察しているような映画を作りたいと思いました。昆虫に感心したり、木の葉に空いた虫食い穴に注目したりしているうちに日が暮れ夜が明け、また日が暮れて夜が明ける。
地球の上には見慣れたいろいろなものがあるけれど、雨に濡れていたり、懐中電灯で照らし出したりすると、月の石みたいに珍しく感じるではないですか。
撮影はダブルランスーパー8です。16mmフィルムと同じ幅のフィルムですが、現像後に半分に切断されてスーパー8フィルムになります。ダブル8ではありません。
大きな石小さな夜
〈1991 8mm 12分27秒〉
水の表面張力、石に詰め込まれている夜と長い時間のイメージ、垂直方向の空間移動、距離を超越するためのアクションカッティング、こうした好みのモチーフや技法を使い、盆栽とか趣味の園芸みたいにこつこつ時間をかけて作りました。
少し作っては作り直すことを繰り返し、迷いを拭いきれない部分があったのですが1年後に発表しました。その部分を金井勝さんが見抜きました。指摘されて閃き、その部分を作り直して最終的な形になりました。楽しんで作ったせいか愛着のある作品です。
Presented by Art Saloon / S.I.G.Inc